”あなたでいることがあなたの肩書”
プロップスタイリスト kari (カーリ)です

このサイトを見つけてくださってありがとうございます。

私の体験が、あなたをとおった時
私色mixあなた色にremakeされ、新しい個性を持ってあなたから発信されること
あなたならではのモノがさらに引き出されるきっかけとなりますように。

願いを込めて手渡します。

さて、大好きな場所だけど、もっと広い世界を求めた自分に正直に進もうと ”離れる” ことをした私。

”3つ目の親”に巡り会う場所になるのですが、
引き寄せられるように導かれ、最高の経験をさせてもらえた場所でもありました。

ここでは、一番濃厚な経験の数々があります。
裏話&裏ワザをゆっくり思い出しながら、裏blogに書き溜めていきますのでそちらもご覧くださいね!

 

 できていたようなレール

行先も決めず、何から始めればよいかもわからないまま、まずは”離れる” ことをした私。

行先は ”フリーランスと個性の親” に巡り会った人・場所だった。

退社した私は都内にあるレンタルショップ巡りに明け暮れていた。いつ仕事が入ってきても良いように、どこのお店に何がおいてあるかを把握しておこうと思った。
一日巡って帰宅してからノートにまとめ、10年先まで立てた今後の目標に沿って、次の日を迎えるみたいな毎日だった(超地味~ww

そんな時、百貨店時代に知り合ったヘアーメイクさんからフリーランススタイリストのアシスタントをやってみないか?と声をかけてもらった。実は2度目。以前は断っていた。
理由は、
*アシスタントをしてフリーランススタイリストになるつもりはなく、そのままフリーランスとして活動したいと思っていたから。
*アシスタント先のスタイリストさんは芸能関係の仕事をしていると聞いたから。(芸能関係のスタイリストには全く興味がなかった。モデルさん相手のスタイリストをやりたかった)
この理由を伝えてお断りしたところ、スタイリストさんが私に興味を持ってくださったというお返事。

Why???

会うだけあってみない? ということで、会うだけならいっか、と思いお会いすることに。
そこで、めちゃくちゃ忙しくて1日で良いから手伝ってほしいといっていただき、(どうしてこんな流れになったかよく覚えていないww 不思議な流れ)1日ならいっかとアシスタントをさせていただく。

その初日、初めて体験した1日はずっとびっくりしていた。

のちの師匠は、”宝石箱をひっくり返したような感じの衣装” というイメージでのちに誰もが口ずさむような大ヒットを飛ばし続けるグループの衣装を作っていた。
正確には、市販の洋服に色とりどりのビーズやラインストーンをいくつもいくつも取り付けるべく配置を考えていて、部屋中が宝石箱のようになっていた。
私が入っていくとそんなことを説明しながら、”じゃあ行こう” と、部屋はそのままにして出かけた先は、違う方の事務所。ご本人も一緒に打ち合わせ後、衣装の貸出にブランドのプレスルームをいくつか巡り、次々とキュートなスタイリングを作り上げて貸出予約をしていた。その時の帽子の選び方に驚いた。
”こんなの絶対かぶらないし合わせないでしょ、フツウ・・・おいおい、大丈夫か? ” みたいなデザインのものに合わせた服も、私のこれまでの辞書にはなかったテイスト。
後日、そのコーディネートをご本人が着たのを見たとき、めちゃくちゃ似合っていて可愛くてまた驚いた。

当時、プレスルームから洋服を借りることすら知らなかった私は(百貨店内からしか借りたことがなかったし・・)今までのクオリティをはるかに超えているおしゃれすぎる世界にかなり引き気味だった。
しかも、興味ないし、芸能関係、みたいな。

そんな1日だけの体験が、”予定がないならもう少し手伝って” みたいな具合で結局1か月やってみて、返事をすることになり、そのまま3年間お世話になるのでした。

因みに、のちに、何でお断りした私に興味を持っていただいたのですか?って聞いたら
”芸能関係に興味がないって言っていたから” とのこと。
芸能人目当てでアシスタント希望が多い中、芸能関係に興味のない私は、どこへ行ってもご本人にあっても、淡々とこなすだろうと。(← そこっw? そして、実際そうだったww
何がご縁になるかわかりません~~ww

あの時、予定もなくただ離れるを決めていて良かった。
と、今こうして振り返った風景の中にはそうなるべく道しるべが隠されていたんだなぁ~と、ありがたく、あったかい気持ちになっています。

濃厚な毎日 白の時代

毎日、次から次へ仕事をするのですが、常に新しいものを生み出してゆく。師匠はそんな人だった。
毎日が新しくて忙しくて、新鮮。とにかくひたすらついてゆく、そんなイメージ。

師匠は衣装のセレクト・貸出~デザインまで全てこなせるスーパーマンみたいな方だった。
当然、周りからの信頼もかなり厚い。
一緒の時間が増えていくにつれてその信頼の厚さもすぐに納得できた。

とにかく仕事が早くて丁寧、どんなに忙しくても仕事の種類や相手で手抜きをしたところを見たことがない。
何日徹夜しようが仕事優先で常に完璧なモノを提供していた。

フリーランスという姿勢の重みに度肝を抜かれた。プロフェッショナルの一言。

師匠の作り上げるモノは話題やブームを起こすものもよくあった。
それほど発想にも枠を持たない方だった。打ち合わせ後に師匠の中をとおって出てくるイメージにいつもワクワクしていた。

不協和音の美でDNAができている” みたいな感じ。到底、追いつけない!けど、それだけ目標もグンと上がった。
目指すものは遠いかもしれないけど、すぐそばで学べる幸運。
時間を共有すればするほど、考え方・発想・動き方がわかってくる。

なりたい現実を加速させるには考え方を学ぶ” を、初めて無意識下で読み取って毎日書き換えていた日々だった。

そんな毎日だったから当然休みはほとんどなく、睡眠時間も平均3~4時間だった、3年間。
いつしか周りから ”カメ” というあだ名をもらって・・・
睡眠不足からだと思うが、いつの間にか二重の目が三重になっていて、そこから付いたネーミングww
それでも元気だった。
とにかく楽しくて充実していて、仕事と師匠への ”LOVE感” みたいなものが半端なかった。

数えきれないほどの失敗、失態をしたのだろうけど、楽しくて充実していた事のほうがよく覚えている。
失敗で忘れられないのは、師匠の車の運転。
当時免許取りたての私。車はボルボのワゴン。長くて大きい。その車を数えきれないほどぶつけ、擦り、事故り、修理中の代車までぶつけ、とうとう廃車に・・・。
それでも、スタイリストには車の運転と道を覚えることは必要だからと、新車になったボルボも運転させてくれた(さすがにそのころには運転にも慣れてぶつけなくなった)
全てにおいてそんな感じで、仏様のように懐の広い方だった。
プライベートの食事や飲み会にも必ず連れて行ってくれて、仕事以外の付き合いの大切さも教わった。
常に一緒だった。

アシスタントとして育てる方もいらっしゃる中、師匠は独立することを見据えて常に対応してくれていた。

それでも感じてしまう ”離れる”

師匠は ”その方専属” という動き方だったので、その方のスケジュールとほぼ同じ動きで、合間に打ち合わせ、集めモノ、返却、ほかの専属の方の仕事などと動いていく感じ。
なので仕事内容も、TV、雑誌、ドラマ、ステージ衣装、CM、CDジャケット、プロモーションビデオなどなど、さまざまな体験をさせていただいた。本当に貴重な体験。

大手百貨店でスタイリングの基礎を学んだ私は、次に師匠の元で専門職の初級~上級までを学ばせてもらっていた。ほんと、人生、うまいことできてるな~と、ただただ感謝。

反対を押し切って上京してきた私にとって、東京では出会いが全てだったなぁ。
節目に出会う方々との巡りあわせがあったから、こうして手渡したいモノになっている。

テクニックやノウハウ、テンプレートなどを使って、仕組みとして取り入れてから動く方法もあるけど、職種に左右されるのかなと。私のような職種の場合、自分の ”なんとなく” にチューニングしていると 力 が抜けていてうまいこと運んでもらえる、みたいなことが起こるのだろうと思う。(詳しことはインスピレーションに素直になる書きました。そちらも是非読んでね!)

充実した毎日だけど、3年目に入ったころ 意識し始める独立。
自分の力を試してみたいって思う。

”離れる” を師匠に伝えるのでした。

自由とは


当時の宣材写真一部

本当にフリーランス(自由)になった初日。私が一番やってみたかったこと

丸一日だらだらして好きなだけ寝る

を満喫していた。
気が抜けたら、3年間の寝不足がどっと出てきた。
2~3日後、友達に「目が二重なって元気になった」と言われた。

肉体的には元気になったのかもしれない。
でも、そういえば・・・

”何をどうやって一人で仕事をすればよいか全くわからない”

現実を知る・・・
そんなことも調べずに独り立ちとか言ってたのか~!って言うツッコミが入りそうですが、

仕事はできるのだけど、ん?仕事をもらうにはどうしたらいいの?” っていう基本的なところ。そういえば、そこは経験したことない。師匠は常に ”仕事がある”ところからのスタートだったから。

そんな自堕落な生活を満喫しているとき、1本の電話が入る、師匠から

「○○さんに挨拶に行った?独立したのに顔ださないって言ってたよ。」

あ”~~ ・・・ ^^;  私と師匠を繋いでくれたあのヘアーメイクさん。
独立したその日の帰り道、電話を一本入れたっきり、挨拶へ行っていなかった・・・。
や、やばい。

そのまますぐに連絡を入れ、先方のご自宅へ向かうのですが、
そこで、フリーランスに必要な順番(仕事で大切にするべき優先順位)と挨拶(感謝の気持ちを伝えること)の大切さをこんこんと教わった。

頭でわかっていた。アシスタントの時、肌で感じていた。目の前で見せてもらっていた。
でも、アシスタントという立場は、ものすごく守られていたんだと痛感した。全く、自分事になっていなかった自分を知らされた。

立場が違うって、こんなにも見え方が違うんだということが自分をとおった瞬間だった。
悔しい。けど有難い。

自由には責任がついてくる。何の壁もなく。自分の思いの分だけ正直に跳ね返ってくる。
これをきっかけに、思いつくことをすべて行動に移し、ようやくフリーランススタイリストが始まった。

自分の甘さを知る 

独り立ちして、さらに新しい出会いを重ねてゆくことになるのだけれど。

やりたいことと思いどおりにいかない自分のスタイリング。
実際に全くの一人になって、何から何まで自分でやってみると、どうもしっくりこないスタイリングになったりする。アシスタントの時は守られていたんだな~、もっと細かく見ていればよかったなどと、立場の違いと視野のちがいを体験していた。

また、スタイリング以外にも、予算とやりたいことの開き、スタイリング料を振り込んでもらえないなど、いろんな壁にぶつかりながら、それでも徐々に ”私にやってほしい” ”私なら安心” と言ってくださるクライアントが増えてきた。
独立して約1年後からようやく師匠と同じように ”その方専属” という動きができる方が一人、また一人と増えてきた。
私の場合は主に音楽関係の方が多かったので、音楽雑誌、CDジャケット、プロモーションビデオ、ステージ衣装などをよくスタイリングさせてもらった。

また、撮影現場で知り合うフォトグラファー・ヘアーメイクなど横の繋がりもできてきた。。
特に仲良かったフォトグラファーと初めての宣材写真撮影もしていた。
自分たちの好きを持ち寄って撮影し、それをまとめて作品資料を作り、初めての持ち込み営業なども体験したのはこの頃。

セッション” の感覚はこのころを思い出させてくれたのかもしれないなと、今書きながらまた見つけた道しるべに感謝している。

のちに、このフォトグラファーがスタイリストウエディングを繋いでくれることになる。

ようやく仕事も回りはじめ、2~3か月ギュっと仕事をして、1か月弱休みをとって旅行へ行くみたいなこともできるようになった頃、夫と知り合う。
そのころの仕事は時間が自由すぎて、ドラマなどに入るとタイムスケジュールに終了26時とか書いてあったりした。次の日、早朝ロケで6時集合とか。
結婚生活をするのに時間を調整したいと思うが、仕事を少なくすると ”カン” が鈍る。
それは自分で許せなかった。
それでもいいから ”うちだけやってほしい” と言ってくださる方もいらしたが、大好きな方々だったので、カンが鈍っているものを提供してしまうことになる自分がどうしても許せなくて、全てから退くと決めた。

初めて自分で絶った ”離れる” だった。

結婚&出産


*私が担当スタイリングした写真は掲載了承の確認が取れないので当時のカタログより抜粋しています

結婚を機に自分で絶った ”離れる” を選んだ私に、友達のフォトグラファーが仕事の打診に来てくれた。
それが、大手結婚式場がこれから打ち出す企画 ”スタイリストウエディング” だった。
これなら、日程が決まっているし一般の方にスタイリングするから、時間の調整をしやすいのでは?という配慮だった。

私は、正直、ちょっと気楽なお小遣い稼ぎのような気持ちで紹介を受け、ここでも人との繋がりでスタートすることとなる。

 初めての 現実世界に住む人々

初めて、自分と同じ生活環境の中にいる方を相手に作るスタイリング。
芸能関係とは違う難しさと楽しさを味わった。
その方の人生に少しだけ加われることの充実感と責任感もあった。
”ちょっと気楽なお小遣い稼ぎ” 的な気持ちはすぐに吹き飛んだ。

当然だけど、ウエディングの主役は本人。
ドレス、髪型、ブーケは主役の引き立て役、脇役、を痛感する。
実際に花嫁さん皆さんに共通していたのは、挙式を控えた独特の ”内側からにじみ出る幸せオーラ” で本当に美しかった。

その美しさを最大限に引き出してあげたい。
そう思った時、ご本人の希望と似合うものとのギャップを埋めることと、引き算のスタイリング・トータルバランスの満足感がとても重要だった。

第二の私総決算

徐々にご指名をいただくことも多くなり、本格的な仕事として動いていた。

私に多かったご希望は、2wayアレンジ。白ドレスの雰囲気を変えたスタイリングで色ドレスの代わりに着るというスタイル。
これまで、ドレスに合わせなかった普段使いの小物を使ったり、手作りのショールやリボンで作ったオリジナルコサージュ、生花をアレンジするなどしてスタイリングをすると好んでいただいた。
さらにウエディングファションショーや企画を担当させていただき、ステージ上で2wayアレンジを作ったりもした。
中にはお母さまの思い出の服をリメイクして色ドレスにしたいという方もいらした。
そんな時はステージ衣装デザインの経験を活かしてデザイン~縫製まで担当させてもらった。

トータルウエディングコーディネイトと聞くと、同じような組み合わせの繰り返しと思いがちがけど、やってみると奥が深かった。
ある意味、この期間に専門学校~フリーランスで体験した知識・カン・技術の総決算をしていたように思う。
一番縛りのある中で、最大限の自由を出せるようになっていた。

ここでも私の好きな ”不協和音の美” を受け入れてもらっていた。

そんな中、長男出産とスタイリストウエディング企画の縮小も重なり、家庭を楽しむ予定で全ての仕事から遠のくことを選んだ。

結婚&出産の”離れる” は初めて自分で絶った
この時点では、これまでの ”離れる” との違いにまだ気づいていない。

引き返した今、この時からもらったギフトは、”頭で考え、自分の心を置き去りにすること” だった。
これが、この後の長い長い迷走に入ることになるとは・・・。