*photo by  keiko kobayashi     

”あなたでいることがあなたの肩書”
スタイリスト 中山ユカリ(kari)です

このサイトを見つけてくださってありがとうございます。

私の体験が、あなたをとおった時
私色mixあなた色にremakeされ、新しい個性を持ってあなたから発信されること
あなたならではのモノがさらに引き出されるきっかけとなりますように。

願いを込めて手渡します。

ここは最初のフラットゼロポイント^^(今が第二のフラットゼロポイントなのでww)
波に乗る前の感覚を初めて味わった場所なのかもしれない。

 

スタイリストになりたいと思ったきっかけ

たぶん小学生の頃、読んでいた週刊マンガの中にスタイリストが主人公っていうストーリーがあった。

仕事に必要なブラウスを探しているのだけれどどこへ行ってもイメージ通りのモノが見つからない。
期限は迫ってくる。
焦りの頂点、期限ギリギリ、閉店間際、ある店に飾ってあるブラウスを見つける。
探していたイメージ、まさにそのもの!
手に取ろうとしたとき、横から「これくださ~い!」と声がかかる。主人公の女性はショック!!
集注線いっぱいの主人公ドアップの顔で次号へ続く・・・みたいな記憶だけあるのですが。

「なんだこの仕事!世の中にはこんな仕事があるんだ。楽しそうだな~♡」
そんな風に感じたことは覚えている。

(こんな焦りmaxの内容で何で楽しそうと思ったのかは謎ですが・・)

週刊マンガには、はまっていたわけでもなく、友達が毎週楽しみにしていたので貸してもらったものか、なんとなく買って読んでみた程度で、このストーリーも唯一このシーンにしか巡り会っていない。というかこれだけしか覚えていない。

テニス一筋の中学生時代を終え、高校生活に入るとどんどん洋服に興味を持っていった。
バレー部幽霊部員の私は学校に内緒でしていたバイト代を洋服につぎ込み、それでも高くて買えない洋服は父や兄が着ていた洋服を引っ張りだしてきて、自分のものとアレンジしながら着ていた。このころから不協和音の組み合わせが好きだったんだなぁ~

 

「誰かと同じ」が嫌だった

通っていた高校は、憧れの先輩が居るという理由と兄・姉は商業高校だったのでどうしても普通校へ行きたいという反発心?同じところへ行きたくないという単純理由から選んだところ。
とにかく「誰かと同じ」が嫌いだった。

ところが憧れの先輩よりもかなり偏差値が足りない私は、願書提出直前に担任の先生に
「なんでそんな飛び込み自殺みたいなことをするんですか!?」
とまで言われるほどの成績。
1年間猛勉強!で入った。

その反動か高校では好きなことをすると決めていて(進学校なのに、目的がズレまくりだな)
今から思うと洋服にこだわっていたな~と思う。

制服の着こなし

選んだ高校の制服は当然好きなデザインのはずがなく・・
「誰かと同じ」を受け入れるはずもなく。

先輩から譲ってもらった制服をすべてほどいて大改造!

ジャンパースカートだったものはベストとスカートに分解。
さらに12本ひだのスカートは見事24本ひだへ改造。
ついでにスカート丈も長く。
ゆるーい感じのジャケットをほどき、ウエスト部分のダーツをシェイプし体にフィツトさせる。


イラスト by MASIRO                               

と、見事に原型をなくした制服(もはや制服のカタチをした私服?)を着ていた私は、生活指導の先生とある意味仲良く?なるのは目に見えていて(笑)

それほどまでに「着たいモノを着たい」という気持ちが強かった。

ショッチュウ職員室へ呼び出されていた。

職員室へ入るときは、いわゆる制服を着ている友達と制服交換。

だから、先生も驚く(笑) でも服装のことで怒られない(笑)

あるとき先生に、「あの制服はどうしたんだ」と聞かれ
「私が改造しました」と答えたら
「すごい!」と言われ、ますます図に乗っていく私。

雪国だったので当時の冬の履物は当然、長靴。長靴=ダサイ

その中でも気に入るモノを探しまくり、その長靴を履いていたらちょっとしたブームになり、ほとんどの女子がその長靴を履いていたっていう時期もあり。

「誰かと同じ」が嫌いな私は広めた長靴に手を加え始める(まったくねぇ~)

考え出したのが長靴の先端3㎝ほどを一度折り返すという着こなし(爆笑

今、書いていてだんだんツボってきた~w

いや、理由はあって、長靴の上部にボタンがついているデザインだったのですが、そのせいで長靴の上部とふくらはぎが擦れてミミズ腫れのような痣ができるのです(←これをなくすにはどうしたらいいかなぁ~から生まれた着こなし!?)
恥ずかしいし、痛い。
ところが、折り返すと長靴の裏地は黒。チ~ン!・・・可愛くない。

そこで、折り返して見える部分の裏地に水玉模様などの好きな生地を張り付けるというアレンジをしたところ、これがまた一時のブームになる(笑)

  
*イラスト by MASIRO    

終始、そんなことをして過ごしていた高校時代。

このルーツ、思い起こせばテニス一筋の中学時代にあったかも?

部活が終わると体操着から制服に着替えるの、面倒・・ですよね!?
しかも雪国。寒い。制服=スカート。寒さ=スカート>体操着のズボン。

という計算式wで思いついたのが、履いている体操着のジャージの上にスカートを履く。ただのズボラではありません!オシャレです!

通っていた中学の体操着はオシャレと言われていたデザイン。ほとんどの生徒たちは気に入っていた。それをスカートの下から出して着こなす、というもの。

当時、山口百恵さんという大物歌手がいらして、(俳優 三浦友和さんの奥様です)

誰もが大好きな百恵ちゃんの衣装 ”絶対絶命” のように、スカートの下から誰もが好きなジャージをだして着こなせば、「防寒×オシャレ」になり、なんとその着こなしも女子の間で冬場の流行になったのです(爆笑     
これが流行るってね~  あ~ツボったままだわ~~ww

 


*山口百恵さん 「絶対絶命」衣装  (スカートの下にスパッツのようなものを履いている)  イラスト by MASIRO      

初めての「離れる」

もうお気づきと思いますが、通っていた高校は進学校。
高校3年生の2学期後半からの受験時期、授業はほとんど自習。
目指す大学へ向けて各自勉強というスタイル。

その中で私は一人・・・ファッション誌を読むという行動へ。ひぇ~~!!

今思い返すと、もう、箸にも棒にも引っかからないってこのことね。先生ごめんなさい。

こんな自由な感じで楽しんで、行きたい進路も先生に伝えてあった。
学校創立以来初めての進路と言われたほど、大学・短大へ進学志望の多い学校だった。

でも問題が一つ。

両親は大反対!
3年生になった時から洋服関係の専門学校へ行きたいと伝えていたけど、当然×

昭和を絵にかいたような性格の父。
家庭の意向は全て父の言う通りという風習で、父は
「大学へ進学は当たり前。女性は県内から出さない。当然お嫁に行くまで実家から出さない。」
=東京?専門学校?一人暮らし? 論外、話す余地無し!以上。
みたいな状態が続いていた。

ある放課後、教室にいた私のところへ珍しく先生がやってきて

「おーい!まだおうちの人に許してもらえないのか?」
「はい」
「どうしても行きたいのか、東京の洋服の学校」
「はい」
「そうか。反対しているのはお父さんか?おかあさんか?」
「お父さんです。うちは全てがお父さんの意見だから」
「そうか。じゃぁ、まずお母さんを味方につけろ。お母さんは女性だからお前の気持ちは必ずわかってくれる。お父さんはなんだかんだ言っても最後はお母さんの言うこと聞くもんなんだよ。」

とだけ言って去っていきました。
その先生があの生活指導の先生でした。

 

私は言われたとおりまず母に自分の気持ちをしっかり伝え、味方につけました。

母のアドバイスどおり、毎朝4時に起きて当時母が通っていた「早起き会」という団体へ一日も欠かさず通い続けました。そこでは正座で1時間半ほど、善い行いの体験談を聞くという会でしたが(なんか・・・もう・・ね 
今でいう『気づきのシェア会』みたいな感じですね。

 

父はどんなに言っても行動が伴っていないと認めない。だから、お願いするというより何かしら真剣なんだという行動で示すことが良いと思う。あとは私から言ってあげるから。
というのが母のアドバイスでした。

だからって、なぜその早起き会なのか、いまだに??ですが、母としては毎日続けられるモノ、私がいつもと違う行動をしているのがわかるモノ、心のどこかでは、そこで話される体験談を聞かせたかったのかもしれません。

 

そんな生活を半年ほど続け、今日が願書提出最終日という朝、父が
『願書出して来い』
と言ってくれたのです。

 

私が、人生の中で ”離れる” ことをした最初の出来事でした。